お四国から近くて遠い、九州。 四辺が海に囲まれたお四国は、本州と橋でつながるまではフェリーで海を渡るのが定番だった。お若い方にはチンプンカンプンな宇高連絡船が懐かしい方もいらっしゃるだろう。 今の時代、大橋(高速道)を使って本州は何度も往復しているのに、この負の遺産の影響?か、未だフェリーが主要な交通手段として残る九州はなかなか腰が重かった。 今春の南九州行で使わざるを得ず、凡そ20年ぶりに乗船してみると佐賀関に渡るフェリーだと時間は1時間ちょっと、なにより休憩がたっぷり取れるという、大きなメリットが。 特に帰路は休養にちょうど良いタイミングになって、今回も春の学習効果で枕とアイマスク持参で客室に移動。航送料金はそこそこかかっても、やはり最短距離で九州に入れるのは大きく、スタート地点の久住・牧ノ戸峠まで自宅から4時間ほどだった。 じじいになってよく判ったけれど、これ、体の負荷がめっちゃ軽いわ。
体の負荷といえば、今回は一種のテストランだった。やっと癒えた膝で4年ぶりの天泊再開に坊がつるを選び、準備も整えた。ずっと日帰り装備だけだった肩にはご迷惑だけど、軽量化を徹底してテント+シュラフに食糧を加えてもプラス2kg くらいだろう。グラナイトギアの52㍑ザックは一泊程度にはおおげさだけど、年寄りの悲しさ、寒さ対策で嵩張るばかり。でも、また背負えるとは思ってなかったので、そのうれしさはある。 さて、うまく行きますかどうか。こればかりは歩いてみないと判らないわ。
パート1 ・ 久住 (1泊2日)
10月23日(月)
朝6時過ぎ、薄明の牧ノ戸峠駐車場を出発。 もうヘッドライトが至るところでチラチラしている中、コンクリで固められた登山道に入る。昨晩はかなり冷え込んで車も夜露がびっしり。この時期、九州でも標高1,330mではこの寒さかいなとふと思う。
前衛峰の沓掛山(1,503m)に着く頃には明るくなって、山頂の岩峰群にはカメラマンの列が。三俣山の肩から出る日の出には時間があり過ぎるので、早々に通過する。
さすがに久住主要山群へのメインアプローチ道とあって、よく踏まれていて、歩き易い。枯れ芒を縫う緩いザク道の登りを坦々とこなすと扇ヶ鼻分岐はすぐだった。ぐっと近くに感じる阿蘇山群やピークに朝日が当たり始めた久住山(1,786.58m/一等三角点)を眺めながらのんびり歩く。
大きな立木のほとんどない、ミヤマキリシマと灌木群に茅野を渡る高原漫歩。 火山特有といえばそうだろうけど、アルプスの景観に慣れた者には、ちょっとした異空間に感じる。左手の星生山稜線にちょっぴり紅葉が入っているのが救いかな。
8時、久住別れ手前の避難小屋。 コースタイム通りも快晴で暑くて早くも一汗かいた。広い原っぱとしか言いようがない平坦地の、隅っこにポツンと立つ避難小屋にザックをデポし、サブザックひとつで久住山や中岳等の主要山群のローテーションに出発する。
道は小石交じりのザク道で、脇をドウダンツツジやミヤマキリシマの群落や芒が固めてはいるものの、正直、植物というものの存在をあまり感じない殺風景さ。 お花のない秋特有かもな…と思いつつ、久住山へ。この頃にはすっかり晴れ渡る。風のほとんどない登山日和で、祖母・傾山山塊が遠霞に浮かび上がり、三俣山越しに大分・由布岳の双耳峰も遠望できて、山頂はよい眺めだった。
ここまで30分ほど。早朝出発だったので、まだそんなに混んでもなく、少しゆっくりできた。牧ノ戸峠から標高差約350m、スニーカーで登って来れる道の具合と距離だから、午後はこりゃ混むだろうなと思いつつ、山頂を下って稲星山(1,774m)に向かう。
霜柱を見ながら神明水分岐を通過し、下った分を取り戻す100mちょっとの直登を頑張って無人の稲星山に。久住山と10mほどしか違わず、眺望も抜群なのに人っ子一人いない。不遇のお山かな。点々とドウダンツツジの塊が紅をあしらって気持ちの良いところだった。
ちらっと見えた坊がつるを横目にドウダンの赤と一気の急登が印象的な中岳に向かう。 2回目の100mの登り下りを経て10時、中岳(1,791m)山頂。九州本土最高点の道標をしり目に、今日の天場、坊がつる全景を見下す贅沢な眺めだ。
もう雲一つない天気で眺望にもやや飽きてきて、人もぞろぞろ…をしおに、そそくさと天狗ヶ城(1,780m)に向かう。眼下に御池を見つつ、時計逆回りの周回行もこれが最後のピークになる。 30分弱で草交じりの丸っこいピークについた。少し時間は早いけど、正面に硫黄山(1,554m)の荒れ果てた白い稜線と噴煙を眺めつつ、ここで昼食に。 御池に立ち寄って避難小屋に帰り着いたのが11時半前だった。大して歩いていないけど、数回のアップダウンの影響か、思ったより時間がかかってしまった。この周回行の印象は、茶色と灰色。ドウダン紅葉もあったけど印象薄く、火山特有のゴロゴロ道のインパクトが大きかった。
もうここからは地形図上の登りはない。距離は長いけど、坊がつる(1,245m)までずっと下り…のはず。 でしたが、10月下旬とは思えない伏兵が待ってました。諏蛾守越への分岐である中宮跡までは硫黄山の噴煙を左に見ながらのほとんど傾斜のない河床歩き。至るところに黒っぽい火山弾が散らばっていて、茅野交じりの静かな道もつい、急ぎ足に。
中宮跡から右に90度ターンし、法華院温泉への標高差150mほどの下りに入る。距離ほんの600m程、砂浜状のほぼ水平道がしばらく続き、真っ昼間のカンカン照りに無風と来て、まるで白い砂漠を歩いているような錯覚に。汗だくでアンダー1枚にされ、やれやれホンマに10月も下旬なの?
温泉への巨石交じりの下りに入って日陰も増え、やっと一息付けた。ここからは渓流紅葉も見つつ季節相応の涼しさに。
13時前、法華院温泉山荘に到着。 ここの一押しはやはり温泉でしょう。当然、日帰り入浴はするべと受付へ。5m×7mくらいのモルタルの殺風景な浴室の湯船にお若い先客の頭が二つ浮いていた。外にも同じくらいの広さのデッキが設えてあって、正面に大船山の絶景。早い時間帯だったからかお湯も大変綺麗で、いゃ~、寛げました。
さっぱりして今日の泊り場、坊がつるには14時前に到着。水場は近いし、草地のクッション付き、風はほぼないだろう窪地と、まぁかなり優秀な天場でしょう。 トイレが旧態依然だったのにはがっかりを通り越して驚きました。国立公園内でこれほどの好条件の天場、相応で早急な改善が必須でしょうね。 テント場は夜の沢風を避けて10m程離れた草地を選択。 初日は膝も大丈夫で安寧に暮れ、北斗七星とオリオン(同居してる!)を肴に癒しのホットウイスキーでした、快適。
10月24日(火)
今日も6時立ち、大船山(1,786.37m/三等三角点)から平治岳(1,642.98m/三等三角点)を回って坊がつるに戻るので、テントはそのままにしてサブザックにお昼も詰め込む。 お星様が綺麗で、まだ暗闇の中、ヘッドランプのか細い光を頼りにまず今回の主目的地、大船山を目指す。 ま、聞こえは颯爽も、道は火山特有の信州・妙高山を彷彿とさせる、岩だらけのゴタゴタの悪路に急登ミックス。 嫌気がさしたけど、幸い、途中で追いついてきた若い兄さん(以下、「M君」と呼ぶ)をペースメーカー代わりについてゆく。おかげでこのじじいも昔取った杵柄、エンジンがかかってきた。途中の落葉の絨毯も楽しみつつ、標高差450mを一気登りで7時30分段原につく。
日の出を待っていた登山者群と狭い道ですれ違いつつ、20分程で山頂へ。この山系の紅葉の名所とあって、20数人はいるか、結構な数の登山者だ。
ひと通り眺望と紅葉を楽しんだ後、M君と一緒に御池へ下る。御池は山頂から見下ろすとやや妖しい雰囲気だったけれど、穏やかな湖面に岸に並んでいるような白い岩石群と相まって、なかなかよろしい眺め。写真家の皆さんが題材に選ぶ理由がよくわかりました。ただ、今日中に長者原まで下山しないといけない時間的な余裕のなさ、光の角度などもあって、しっとりと落ち着いた一枚は残念ながら撮れなかった。
湖畔からM君を誘って対岸の岩峰へ。前セリに下る明瞭な道から右へのかすかな踏分道へ入る。あまり人は歩いていないようだ。 岩峰上から見上げる大船山はピークらしい品格があって、来てよかったねとM君と話す。
帰りに再度、御池湖畔に戻ると幸い風が止み、湖面に映る(漣入りだけど…)岩峰群も撮ることができた。
9時半、段原に戻り、坊がつるに下るM君と握手して別れた。
ここからは大戸越を目指して一路、北へ。雪洞状のミヤマキリシマがせり出して人一人がやっと通れる狭い道を北大船山へ進む。
その先は標高差250mの一気の下りだった。こぶし大くらいの火山岩が積み重なって浮石化していて、また違った意味の悪路。結構、神経を使い、下りのコースタイムが40分になっている理由も納得だ。 10時過ぎ、大戸越に下りきった。暑くてちょっと小休止と水分補給。平治岳はここからは見上げるような急登だ。
ミヤマキリシマの名所とあって、登りと下りの専用道がある、ちょっとユニークなお山もこの季節だとあまり関係はないかな…。 それではとジワリと登り始めると、いゃ~やはり岩交じりの急登。でも大船山の悪路に比べれば随分とお優しく、30分弱で南峰に。
正面に見える本峰まではトラバース道を10分弱。平治岳は高さこそ1,643m弱と一回り低いけれど、久住山群を見渡せる優れた展望台。そよ風もあって涼しく、お花のない時期とはいえ良いお山でした。
しばし涼をむさぼった後、ちょっとわかりにくい下り専用道の道標をなんとか見つけ、ゆるゆると巻きながら下る道に付き合って11時半前、大戸越に戻る。 大戸越から坊がつるまでの間は、最初、また浮石道も次第に落ち着いてきて良い道とは言えないけど、お昼前にはテントに帰り着いた。 予定より早く戻れたので、昼食がてら一休み。朝、びっしょりだったフライも乾いていて、10分ほど帽子をかぶって昼寝も。 手早く撤収し、13時に天場を後にした。
もうあとは雨ヶ池経由で長者原へ下山するだけだ。 ピッチを上げる必要もないし、雨ヶ池越まで膝の具合を確かめながらのんびり緩い登りをゆく。途中、森林管理署が道路補修作業中で、お礼を伝えて通過させてもらう。
降雨後は池になるらしい雨ヶ池は、カラカラだった。膝は不安を全く感じなかったので、あと4km程の緩傾斜道をひたすら歩く。 一面葦ノ原の木道を抜け、坊がつる讃歌の碑のあるバス停には15時前の到着だった。
坊がつる1泊2日、お久しぶりの天泊行は膝の不安解消という、願ってもないお土産付きで無事、終えることができた。
10月25日(水)は膝の休養日に充て、黒川温泉で湯浸り三昧。深さ1.6mの立湯がなかなか面白かった。もう少し湯船が広かったら平泳ぎができたのに…残念。
パート2 ・ 阿蘇 (日帰り)
10月26日(木)
今朝もヘッドランプと一緒に6時出発。仙酔峡から阿蘇最高峰の高岳(1,592.3m/三等三角点)を目指す。
芒道を10分程で仙酔峠。正面に圧倒的な迫力で鷲ヶ峰の岩峰がそそり立ち、峠周辺にはクライマー達の慰霊碑が立ち並ぶ。合掌して通過、他人ごとではないし…。
これから登る仙酔尾根は駐車場から高岳山頂までの標高差約700mをほぼ直線で一気に登る急登だ。恐らく阿蘇唯一の登りらしい登りだろう。こういうの性に合ってるらしく、急登には若い頃から強くて、登りの○○とよく言われた。 暫く登っていて気が付いたのだけど、この道、浮石がほとんどない。そのように見えて、しっかりと安定していて固くこれが溶岩流の特徴なのか。道はそれが固まったところに無理やり通していて、点々と黄色いマーキングが施してある。なるほど、何処を歩いても変わらず、視界が悪い時は位置が判らなくなるのかもしれない。実際、晴れているのに何度か助けられた。振り返ると阿蘇外輪山の向こうに伸びやかに久住山系が浮かび上がって、雄大そのものの眺望。せせこましいお四国が嫌になる眺めだった。
7時半にこのコース唯一の注意ポイントを通過。そう危険そうには見えないが、それでも埋込ボルトがちゃんと打ってあった。
鉛色の溶岩道にも草紅葉はあるし、必死に寒さに耐えて日差しを待つ凍て蝶も。雄大な風景を眺めながらで休憩しまくりである。
今日はそう急ぐ必要もないという、気楽さもあって稜線に飛び出すのに2時間もかかってしまった。ひとたび稜線に上がってしまえば、もうあとはだらだらの稜線漫歩だ。
うっすらと地表を覆う芒や草類以外は、ごつごつした溶岩のなれの果てばかり。「荒涼たる」がそのままの情景に一本ハイウェイが通っていて高岳にはあっという間に着いた。女性単独行の方が写真に苦労していたので撮影をしてあげ、少し話して別れる。
ここから先、中岳(1,506m)、火口東展望所(1,369m)と左側に白い噴煙を上げている火口壁を眺めながらの緩い下り道。同じような風景とハイウェイが続くほぼモノトーンの単調さ。
火口向いの砂千里ヶ浜とおもちゃのミニカーのような車列の眺めに展望所でお別れし、既に廃止になったロープウェイのコンクリ塔が点々と侘しく立っている、舗装道を延々と下った。なんとこの舗装、登山口の仙酔峡駐車場まで続いていてうんざり。
9時半、車に帰り着いて一服していると、高岳で別れた女性単独行者がほどなく仙酔尾根を下ってきた。奈良から来られたらしく、これから祖母山に向かうとのこと。1日2山踏破も可能なところが九州のお山の良さ?なのかなと、やや複雑な気分で阿蘇をあとにした。