親不知子不知の先は、せり出した岩壁の下をトラバース気味に20m程下る細い道になっていた。山頂に向かって一気に高度を上げるのではなく、崩れやすい岩稜帯を避けて、草付きを抜けて行く、巧みなルート設定だ。その岩壁から鴛泊ルートとの合流点、沓形分岐(1,580m)までの間、標高差100m弱の北西に面した急傾斜の草付きに、お目当ての一つだった高山植物群が集中していた。山体に降った雨が岩稜帯を伝って滲出し、尾根筋の強烈な日差しや風も避けれる、植物にとっておあつらえ向きの環境なのだろう。
一旦、下った後は息つく間のない急登だったけれど、9:40に親不知子不知を抜けてから沓形分岐の稜線道に出るまで、地図上の水平距離わずか100mにまたも40分を超える時間を使う。かなり中身の濃い時間を過ごさせてもらい、鴛泊ルートを単純に往復したのでは撮れなかった貴重なお花もあって、沓形ルートからの周回を選択して大正解だった。 写真の技量が拙劣なのはお許しを願うとして、しばし、お花類に行間を使わせてもらう。
鴛泊ルートに入ってから、ぐっと人が多くなった。山頂までの約30分間、道端に次々現れるお花類を撮りつつ、快晴の中を雲海に浮かんだような、爽快な登りを堪能させてもらった。
此のお山もオーバーユースの弊害は著しく、登山道の維持管理にかなり苦労しているのが見て取れた。あまり意義を感じない百名山に選ばれたばかりに、こういう負の部分を地元が担わざる得ない不合理にちょっと心が痛んだ。
最北の単独峰ピーク(北峰/1,719m)は狭く、登山者でごった返していた。あっさり着いてしまったうえに、周囲は南峰(1,721m)とローソク岩がくっきりと望めるほかは一面の雲海。北海道本土や礼文島は全く望めなかったけれど、雲上人の気分を味わえる、こういう眺めも悪くないなと思った。
南峰へは明瞭な道があり、今日も問題なく歩けそうだけれど、ロープで仕切られて通行止になっていた。時期的にもう少し早く来れれば行けたのになぁとちょっぴり残念だった。 これで南の屋久島とともに南北双方のお山を訪ねることができたのだけれど、これといって特に感動らしいものはなかった。
お花撮りで時間を使ったのが逆に功を奏し、鴛泊ルートを往復の、フェリーで一緒になった方や同宿の方にも山頂で声をかけて頂いて、運よく再会できた。 W嬢と山頂の片隅に座ってお昼。コーヒーブレイクもして、ゆったり時間を過ごす。スキーで膝を、スノーボードで腰を痛めリハビリ中とか、仕事の都合で次は知床半島に職場が変わるとか、とりとめのない話を聞く。明るくて、良くしゃべる子だけれど、なんで俺のような爺いについてくるんだろう。
山頂で雲上人に浸りきって、1時間程、雲海が切れるのを待ったけれど、ついにその瞬間は訪れず、正午に下山開始。ここから先のお目当てはこのお山の固有種、リシリヒナゲシだ。途中で知り合った、写真撮影専門の若い二人組の兄ちゃん連に場所を教えてもらう。確認できたのはたった4株。でも十分に美しく、儚さも漂う、可憐なお花だ。
風雨の強い稜線、栄養分の少ない火山灰地という、厳しい環境の中で生き抜くのは大変なのだろう。W嬢から、リシリヒナゲシは、山頂付近にある本来の株と下で肥培した株とは微妙にDNAが異なっていて、山頂に持ち上げて植栽しても活着した例がないという、興味深いお話も伺った。
最終のターゲットも撮り終えて、もうここから先は坦々と下るだけだ。ハイマツとダケカンバの繁る中を一筋、緩い傾斜の道が通っていて、とても歩き易い。
小一時間で利尻岳山小屋という名の避難小屋(1,225m)に着いた。重量鉄骨造の頑丈な建物で、風雪に耐え抜いた外観と避難小屋としては立派な内部に驚く。水さえ持ち上がれば泊も大丈夫だろう。事実、今日宿泊予定という、山岳ガイドとその友人の幼児二人連れ家族に道ですれ違った。
避難小屋から8合目長官山(1,218.30m/一等三角点 利尻山)まではすぐだった。道が急降下に入る、ピークの右脇に歌碑がぽつんと所在なげだった。北海道の「酪農の父」と言われる佐上 信一 旧北海道庁長官が昭和7年にここまで登った際、詠んだ歌を歌碑として建立したもので、歌は「利尻岳登り登れば雲湧きて谿間遥けく駒鳥乃鳴く」(出典:利尻研究 2011.3月「利尻山登山路の石碑」利尻町立博物館 佐藤雅彦氏他2名。)。これを記念してそれまで薬師山?と呼ばれていた山名は長官山に変わったらしい。そういえば、すぐ近くの丘に薬師如来の石碑があったなと。でも、歌碑は彫りが浅くて字は読みずらいし、礼文島側に向いているので、登山者が見るのは「昭和8年6月26日北海道庁長官 佐上 信一此詠」の裏側の文字。これはもったいないと思うし、おまけに、これに気を取られてうかつにも一等三角点の確認を忘れてしまった。
長官山を過ぎると、徐々に樹林帯に入り、展望はなくなってきた。道もゴーロ交じりの石ころ道に変わって歩きにくい。10分程でぱっと視界が開けた場所に出たなと思ったら、第二見晴台(1,120m)の道標が立っていた。ごつごつした岩だらけの場所でも名前だけのことはあって、丁度、雲海が切れて正面に礼文島が浮かび上がり、素晴らしい展望になった。(巻頭に掲示) ここから先は、いわゆる裾野のゾーンに入ってしまい、7合目胸突き八丁(895m)、6合目第一見晴台(760m)と通り過ぎ、途中、下りでかなりへばっている人を何人も見た。時折展望はあるものの、下りに下ってかつ蒸し暑い、冗長といっていい程の、長い道のりだった。
5合目の雷鳥の道標(610m)に着く頃には、もう15時を回って、いいかげんうんざりしてきた。 山頂からの下り始めで、W嬢から降りるスピードをもう少し遅くしてくれと頼まれ、ピッチを落したのが影響したけれど、さりとて置いてけぼりも忍びなく、心優しい?なんて似合わない爺いが普段やらないことをするものじゃないなとこの時ばかりは反省した。
それでも、ゆっくり下ってゆくメリットもあるもので、道脇にひっそり咲いているイチヤクソウやよく似たウメガサソウが目に入り、姿かたちの綺麗なイワガラミにミヤママタタビのピンクの葉っぱもあって、最後まで楽しめた。
気付いたら4合目野鳥の森(390m)はすっと通過していて、ポン山分岐の先にある名水百選の甘露泉水(3合目/270m)には16:20に着いた。汗を拭き、喉を潤して少し寛ぐ。もうここから利尻北麓野営場まですぐだろう。最北のお山は快晴に恵まれて登頂することができ、もうすぐ長すぎる下りも終わりになる。
W嬢はペットボトルを何本も出して泉の水を詰めている。仕事先がネイチャー関係の割には山ずれしていない、変わった子で、明日は鴛泊から沓形までの12.8kmをクロスバイクで飛ばし、見返台園地まではタクシーを使って車を回収に行くという。 自分の祖父くらいの古希越えの爺いに一日付き合ってくれ、地元でないと判らないだろう、おもろいお話も聞かせてもらって、いろいろ有難うと心の中でお礼を言いつつ、ザックから宿泊先に出迎えを頼むため、ゴソゴソと携帯を取り出した。
(あとがき)
やっと積年の宿題になっていた、利尻山に登ることができた。お四国からこれだけ離れていて、新コロナも となるとなかなか踏み切れなかったけれど。
帰路は、稚内から札幌までJRではなく高速バスを使った。ルートは留萌まで日本海に面した、車の少ない一般道を走り、そこから高速道を札幌へ。こちらの方がリラックスできたのは不思議だった。