まず、お山の名前が一風変わっていて、面白い。
お山のあらましと山名の由来は、1973(昭和48)年発行の「愛媛の山と渓谷 中予編(愛媛文化双書16・以下、「中予編」という。)」に、著者の愛媛大学山岳会 山内 浩会長(当時)が次のように書かれている。
「松山から見える山で、一般によく親しまれている。三角点の標高は1,270.5mであるが、この三角点のあるところは最高点ではなく、最高点は三角点の約240mほど南にあって、約10mくらい高いので独立標高点(誤差1m)1,281mとしておきたい。(中略)
皿ヶ嶺の特徴は、何といっても、地学上隆起準平原といわれる平坦面が頂上付近にあることで、北の松山の平野からでも、南の大川嶺の山地からでもすぐ見分けられ、皿という名はそこからきたものであろう。」(注1)
されど、このお山、なかなか奥の深いお山である。標高こそ里山の類よりやや高い、ごくありふれたものでありながら、中四国でも有数の花の名山。加えて、水楢、栂や欅の自然林に山毛欅もその代替りが見受けられ、植生の豊かなお山でもある。「中予編」は、その魅力をきちんと分析しているので、再び戻ってみよう。
「皿ヶ嶺は松山付近では登山者が最も多い山であるが、山岳宗教の山ではないので、よく人が登るようになったのは最近のことである。以前には泉のほとりに小祠があって竜神を祀っていたが、今はそれもなくなってしまった。 ともあれ、皿ヶ嶺は日帰り登山には手ごろの山である。竜神平でも高度は1,150mもある。小規模ではあるが山毛欅の自然林も残っている。隆起準平原でスポーツも可能。水の便利がよくてキャンプの適地であり、夏は暑さを知らぬ別世界。冬は樹氷で飾られ、スキーもできる。山頂からの展望もすばらしい。女子供でも楽に登れる。……などがこの山が人気のある原因であろう。」(注2)
今は、竜神平でスポーツやスキーはちょっと難しいと思うけれど、少し歩く時間帯をずらせば、人は驚くほど減り、この当時の静かな雰囲気を十分に堪能することができる。
一帯は、1967(昭和42)年に、皿ヶ嶺連峰県立自然公園に指定され、皿ヶ嶺はその盟主的なお山である。現在は、標高950m付近の風穴(岩塊の隙間に人間が入ることができないので、「ふうけつ」と読む。)まで車道が通じ、松山市内から30分ほどでアクセスできる、利便性の非常に高いお山となっている。勿論、上林・湧水部落の標高約450mにある送電鉄塔№156の下(通称、「鉄塔下」。)から登る道も残っていて、登山者も多い。
また、このお山には、諸先輩方の素晴らしいアプローチが諸々なされており、より探求されたい方々はそちらを参照されるとよいだろう。山じいは、撮り貯めた写真を中心にコメントを記して、このお山の魅力の一端をご紹介できれば十分ではないかと思う。
長過ぎる前置きとなったけれど、「中予編」の冬の情景をお借りして、冬編から入ることにする。
「皿ヶ嶺はまた、樹氷や雲海が見られる最も手近な山である。初冬のころから、低気圧が通過して冬型の気圧に変わり、北西の季節風が吹いて気温が下がると、低く山を覆うていた雲霧が結氷点以下になっている樹木の枝や草などに凍りつき、風の吹きつける方向に氷の結晶が成長してゆくもので、その原因から霧氷と呼ばれ、結果からは樹氷と呼ばれる。冬、松山から双眼鏡で眺めると、雪とは違うので、すぐ見分けられる。樹氷ができていることを確認してゆけるので、皿ヶ嶺は都合の良い山である。」(注3)
1 冬(12~2月)
皿ヶ嶺(ここからは、愛着を込めて「お皿」と呼ぶ。)の冬は、雪の散策が手軽に楽しめ、静謐で落ち着ける場所でもある。積雪量も程々で、竜神平から上林峠を経て八畳敷(天狗の庭)に至る樹林帯の道は、人に出会うこともまれだ。
樅、松等の針葉樹と葉を落とした山毛欅、栂や欅の広葉樹のバランスが良く、霧氷と雪帽子の笹の織りなす光景は美しい。
また、霧氷に輝く竜神平の山毛欅林も見ごたえがある。
最近は、雪遊び目的で風穴まで来る人も増えたが、湧水部落から風穴へ至るアクセス道は、北に面して幅員が狭く、積雪や凍結によるスリップ等の事故(特に、下り)も発生していて、注意を要する。
2 春(3~5月)
お皿が最も華やかな季節である。水の元から風穴、稜線に至る非常に広い範囲で順次お花が開花し、お花畑が現れるさまは圧巻で、その萌え出る力には圧倒されてしまう。
時に、春の雪もあるなど、この季節の散策は風情があって楽しめる。
また、足しげく通うベテラン連からお花の開花情報を伝授頂くのも、この季節の愉しみの一つである。
願わくば、散策に当たって、萌え出した新芽を踏むことのないよう、心優しいご配慮をお願いしたい。
3 夏(6~8月)
お花のメインステージが竜神平から稜線周辺までの領域に移る。
風穴から北面を横トラバースして竜神平に至るコースが一番ポピュラーで、傾斜も緩く遊歩道に近いので歩き易い。この季節、家族連れや高齢のご夫婦なども多く、登山者の幅が最も広くなる。
竜神平は隆起準平原の開放感あふれる空間で、まさに高原の爽快さを満喫でき、素晴らしいの一言に尽きる。
また、風穴周辺は、インフラの整備に伴って、涼しく快適な環境が好まれ、車でアクセスしてキャンプを楽しむ人も多い。 水の元のソーメン流しの隆盛とともに、この時期は訪れる人が増えて渋滞も発生するなど、その多さにやや辟易気味であるが、嬉しいことに、登山者のマナー向上は著しく、登山道でゴミを拾うことはまれになった。
ただ、盗掘は止めて欲しいと思う。春編に書いたノビネチドリは木との共生関係でかろうじて生きており、言わば木に守られているような植物。掘った段階で枯れることは約束されている。盗掘した者には子供さんやお孫さんはいないのだろうか。
4 秋(9~11月)
お皿は、松山近郊で手軽に錦秋の秋を味わうことができるお山の一つだ。
植林の多い久万側と違って東温市側は広葉樹が多く残り、美しい紅葉を織りなしている。
特に、山頂から竜神平に至る山毛欅の自然林一帯は、笹の緑と相まってなかなか見ごたえがある。カエデ類の紅葉が映える、畑野川から山頂へ至る沢沿いの道や人が少なく落葉の散策路になる、赤柴峠から山頂へのアップダウンの多い道も、秋の一日をゆったりと歩めて気持ちのよいルートだ。
竜神平の芒の穂が真っ白になる頃、めっきりと登山者は減り、気温も下がって山毛欅の黄葉が散り終えると、冬に向かって足早に季節が移ってゆく。
(注1) 皿ヶ嶺の標高については、2017(平成29)年発行の2.5万分の1地形図「石墨山」では、三角点は 1,270.7m、山頂1,278mに修正されている。
(注2) 竜神様については、その後、愛媛県山岳連盟の有志の方々のご尽力により、愛媛大学山岳会竜神平小屋の北向いに祠が再建されている。
(注3) 愛媛の山と渓谷 中予編については、1985(昭和60)年に改訂版が発行されているが、皿ヶ嶺に関しては、初版の文章と同様なので、このブログでは初版を用いた。内容に一部不適切な表現もあるが、原文を尊重してそのまま掲載している。 愛媛文化双書刊行会による本書の刊行により、愛媛の自然が広く紹介されるとともに、その理解を深める一助となっていることは、一岳人として誠に有難く、厚く感謝申し上げる。