【プロローグ】
2020年の県外山行先 - 新潟県は、上越、中越、下越と佐渡の四つの地方に分かれていて、上中下越の区分は、かつて宮様のおわした京都からの距離だったらしい。
お山に関しては、上越国境(くにざかい)は、上野(群馬県)と越後(新潟県)を分ける分水嶺の山並みを指す。ご承知のとおり、東北地方の最高峰は尾瀬・燧ヶ岳の柴安嵓(2,356m)だが、上越国境に限れば、平ヶ岳(2,141m)である。
山域では、谷川岳(1,977m)があまりにメジャー。でも、じじいにとっては、谷川岳から朝日岳、ジャンクションピーク、巻機山(1,967m)、丹後山、兎岳を経て魚沼駒ヶ岳(2,003m)に至る主稜線が素晴らしく、特に、残雪期と10月の紅葉時は最高である。道中の避難小屋は、巻機山、丹後山、中ノ岳の3か所(谷川笠ヶ岳を除く。巻機もかつては未設置だった。)のみ。残雪期や紅葉時でも、ひとたび崩れると雨風、ガスの悪相にブッシュも加わって、ズブ濡れも想定内。いざとなれば小屋に難を避けることができるアルプスとは全く異なるお山歩きになり、名実ともに、お山の総合力が試されるルートでもある。
かつて、5月GWに魚沼三山を仲間2人と歩き、駒ヶ岳からガスと雨模様の稜線を旧中ノ岳(2,085m)避難小屋にたどり着いたところ、小屋の戸は壊れ、壁面は破れ、中も融雪で地面は泥濘状態。やむを得ず、スコップで雪を敷き直し、中にテントを設営した苦い記憶がある。今となっては懐かしい思い出ではあるが…。
このほかにも、浅草、未丈や守門、御神楽岳、会津丸山~朝日岳、田代・帝釈等々、会津の山々ともリンクして、標高こそ大半が2,000mに届かないものの、この山域の魅力は尽きない。
今回のお山は、上記の主稜線からは外れるものの、都合で登る機会を失った平ヶ岳、上越の穂高の異名を持つ荒沢岳(1,968.6m)の未踏峰二つとかつてのホームグラウンド巻機山をそれぞれ日帰りで、そして会津沼田街道と御池古道を登・下山道に、草紅葉映える尾瀬・燧ヶ岳山麓を1泊2日の天泊で周回するルートをミックスすることにした。
これだけの長期山行となると、じじいの体力ではハードな上に、新潟はいささか遠すぎて、車使用とGo to トラベル活用によるお宿の積極的な利用にならざるを得ない。お四国から銀山平への入口、関越道・小出ICまで約900km。違反スレスレの110km/h平均で走っても10時間と半端ない距離だったわ。ふぅ~。
お宿も様々だったけれど、学生時代にお世話になった巻機山麓・清水集落の民宿Uも建て替えられ、先代から2代目に。引き続いてクラブの山小屋を管理して頂いている関係もあって2泊した。山菜と猪鍋、ヤマメ?の塩焼等々、ことに山行でどうしても不足気味になる野菜が美味しく、良い休養になって感謝している。
9月26日(土)移動日~27日(日)奥只見周遊 雨時々曇
初日の移動日から台風の置き土産、天気図にない低圧部の存在で、親不知通過辺りからワイパーが稼働。長岡JCTから関越道に入る頃には止んだものの、前半は雨に祟られた。銀山平へ入る奥只見シルバーラインのトンネル(約18km)も特筆ものだった。元々、奥只見ダム(総貯水容量6億トンは全国二位)の建設用道路として開削、ほとんどが岩盤で、湧水でビチョビチョの舗装道にか細いナトリウム灯が延々と続き、薄暗い中を赤い矢印燈に沿って時々グイッと曲がる。当然、二輪車は通行禁止である。トンネル中途の銀山平への出口には信号機付きという周到さ。お四国にはないわ、こんな凄味のある、ほと長いトンネルは。
27日は荒沢岳の予定だったが、26日夕刻からまた降り出す。強くはないが終夜止まず、濡れた岩稜帯歩きはスリップのリスクも高まるので、休養日(10/1)に振り替える。連荘になるけれど、安全こそが最優先で、致し方なし。
ぽっかり空いた1日がもったいないので、奥只見ダム・銀山湖へ。遊覧船に乗るべ。
いやぁ行ってみるもんで、USAからの購入中古船である遊覧船(ファンタジア号)の乗船客は我一人。なんちゅう贅沢や。湖面には、シーズンのワカサギ釣の小舟がちらほら見える。
残念ながら、紅葉には少し早く、また、この雨で見えるはずの尾瀬・燧ヶ岳や荒沢岳は望めなかった。湖を囲む近場のお山は、ほぼ岩盤に木が張り付いている状態で、上越国境の山々を象徴するような景観だった。石鎚山系・面河渓谷亀腹や金山谷分岐手前左岸のスラブ壁がかわいく思える程である。
さても尾瀬や平ヶ岳は例外で、上越国境のほとんどのお山は、魚沼駒ヶ岳・佐梨川金山沢奥壁などの巨大なスラブ壁に象徴されるように「岩だらけ」が真実の姿なのだと改めて実感させられた一日だった。