冬隣の時候も過ぎた11月上旬、東光森山(1,486.2m)から野地峰(1,279.4m)まで約9.8kmを歩いてきた。R194から県道17号に続くアプローチ道は、まだまだ楓紅葉が鮮やかだった。土佐大川村朝谷の山村広場に車をデポし、相棒を乗せて20分、旧別子山村へ越える、太田尾越の路側帯スペースに7:30、車を止めた。この時期でも、デポ地から峠に至る道すがらは、たっぷりと紅葉を堪能できた。
7:45、曇天の中を出発。峠まで10分弱舗装路を歩いて登山口へ。すぐ右に延びる細い道に入る。お山はもう紅葉は散り尽くし、山枯れへと装いを変えていた。
このコースは、ほぼ稜線通しの切開き道なので、2.5万分の1地形図で数えてみると、明白にピークと判るのが13ある。実際はもっと多いだろうから、さしずめアップダウンの繰り返しだろう。中でも最もきついのが東光森山への約270mの登り。しかも前衛峰を越えないとアプローチできないと来ている。
葉を落し切って、枯木に見まがうような灌木帯の中、前衛峰を越え、すぐコルに下ってまた登り。
途中までは緩い傾斜でも、最後の100m程はほぼ直登。この辺りが歩かれていない悲しさか、足元が踏み固まっておらず、すぐ崩れる。粘って9:15山頂に。南西に大きく大座礼山(1,587.6m)、遠く手箱・筒上も望める。この縦走の最高点なので、やや冷たいかなと思える風を我慢して、ちょっと小休止。灌木越しに赤石山系のスカイラインが綺麗だ。
この先から標高にすると100m程下って80m程また登る。緩い登りを黙々と進み、最後の急登を登り切ると1,454mピーク。なんの特徴もない、気の毒な頂だ。越えると別子山(1,374.8m)まで緩い下りに入った。小さなアップダウンの繰り返しを淡々と歩く。
冬まだ浅い、末枯れの稜線をサクサクと山毛欅メインの落葉を踏みながら、凩っぽい風に吹かれつつ歩むのは、かなり快適だ。この時期の山歩きの醍醐味のひとつである。そして、人の気配は全くなくても、誰か後ろからついてきているように感じてしまう道でもある。
「よびかけられてふりかえったが落葉林」 (山頭火)
10:20別子山。殴り書きしたようなプレートは小さすぎて、見過ごしてしまいそう。残り火のような、映える紅葉を前景に遠く稲叢山の稜線が望める。つくづく土佐は山国やと思う。
20分程で、水谷集落に降りる分岐に着いた。もう踏み跡も覚束ないが、大昔の峠?らしく、お地蔵さまが鎮座ましましていた。但し、首がないが…。自然に手を合わせる。台座には、「文化五辰四月吉日…」、もう一面は「施主別子大場 新屋吉蔵」、他面はもう読めなかった。文化五年戊辰(つちのえたつ)は、西暦1808年だ。凡そ200年を越えてこの場所に…か。頭が下がる思いだ。
もういくつアップダウンをこなしただろう、そろそろお昼に…と思案しながら少し登ると、1,403mピークだった。
倒木を使って2か所、明らかに通うせんぼしている。ルートは左に90度曲がるのは判っていたが、明瞭な踏跡なので少し進んでみると、気持ち下ったシャクナゲ林の中の三角点で行き止まりだった。この時だけ陽が差して、檜林の薄暗さを軽減してくれた。
11:40 このピークと大野山(1,400.2m)との最低鞍部で昼食。稜線は風が当たるのでちょい別子側に下り、大岩を防風壁にして30分の大休止。正面はエビラ山。遮るもののない、赤石山系の大展望だ。コーヒーブレイクして、秋の音を聞きに来た山旅の、絶景をゆったりと吟味させて頂く。
大野山に向かう緩い登りの途中、なんの変哲もない場所に、突然、道標が現れ、野地峰まで2.9kmと書いてある。有難いが、なんでこの場所に…?
12:35に着いた大野山は、枯葉で埋まりそうな、たおやかで静かなピークだった。時間があれば、10分でよいからちょいと昼寝をしたくなるような場所で、う~ん、残念。
もうこの先からは野地峰まで、基本、下りやと安心していたら、1,342mピークまで膝が笑いそうな急坂がいくつもあって、閉口する。途中、猪一家5頭にもお目見えしたが、逃げ足の速いこと。カメラを構えた時にはすでに姿形は消え失せていた。
40分程で凹地に出る。あるぞと思ったらやはりありました。索道滑車台の残骸。恐らく、人手を使って掘ったと思われる凹地で、ここは別子側に白滝鉱山の銅を運搬する、中継地だったらしい。閉山が昭和47年、もはや朽ち果てて夢の址と化していた。
ここを過ぎ息切らせて登った高台からは、野地峰までの稜線が一目瞭然で、目印の反射板がくっきりと望めた。あと少しだ。
13:55 思った以上に距離があったものの、なんとか野地峰に着いた。ここにも首なしのお地蔵さま。ただ、台座の文字はもう読めなかった。
道を数m戻って三角点を撮り、怪しくなりつつある天候に追い立てられるようにジグザグ道を下って、14:50車デポ地点に帰り着いた。
アップダウンが多くて、枯葉の散歩!道には程遠かったけれど、枯葉踏む足元の音を楽しむ、この時期ならではの贅沢をたっぷり堪能できた。それに、薄曇りの空の程よい陰が、意外にも、散り残る紅葉に落ち着いた雰囲気を出していて、こういう下での観賞もよいものだなと、一つ発見した一日だった。