Ⅱ 南奥駈
5/1(日)・入山3日目(楊子ヶ宿→釈迦ヶ岳→太古ノ辻→持経・平治の宿→行仙岳→行仙宿)
今日も良い天気だ。4:00起床、5:15お宿を出発。昨日で北奥駈のメインを踏破し、その最後のハイライトになる釈迦ヶ岳(1,799.6m)へ向かう。途中の仏生ヶ嶽(1,804.7m)の山裾を巻き、烏の水で一服。記録のとおり水量は細いがGW前に降雨があったのか、この日は水の勢いがよかった。
孔雀岳(1,779m)を過ぎるころから道は岩稜帯となり、上北山村側は山裾に岩峰群が現れてなかなかの険しい山容。
正面に釈迦ヶ岳がどんと構えているけれど、道が歩きづらいうえにアップダウンが大きくてピッチが上がらず、行けども近くならない。左側に苔むした岩峰を見ながら、浮石交じりの悪路の急登をしのぎ、もうワンピッチあるだろうと気合を入れたら、あっさり山頂に着いてしまい、拍子抜けした。この辺りがアルプスと違って少しお山自体が小さいというところか。
お釈迦様のおわす朝8時の山頂は、ほぼ快晴で絶景だった。歩いてきた北奥駈、これから進む南奥駈と「分け入っても分け入っても青い山(山頭火)」を彷彿とさせる眺めである。
しかし、お釈迦様が鎮座まします割には、ここは登りも悪いが、下りも短いものの急傾斜のうえ、木の根がはびこってステップを置きづらく、おそらく奥駈道中、最悪ではないかと思う。まぁその分、登頂の喜びは大きいのだろうが…。
それでも朝のうちは元気で15分程下ると、深仙の宿。広々とした草原帯の鞍部に立つ、開放感たっぷりの良い小屋で、気分良く行動食休憩。
オオムラサキツツジ?と思しき2、3分咲きのツツジを愛でつつ、なだらかな稜線の大日岳(1,568m)の裾を巻いて、8:50太古ノ辻に着く。
「これより大峯南奥駈道」の道標がデンと構えるすぐ横に「本宮備崎へ45km 24時間」の道標も。奥駈道の約半分をトレースしたけれど、これには参った。トレランはやらないが、はぁお元気な方もいらっしゃるとみえる。
いよいよ南奥駈に入る。天狗山(1,536.8m)への登りで、50代と思われる幕営装備の女性2人組を追い越す。ピッチは遅いが身支度に隙がなく、テント背負って歩く心意気に、心の中で「頑張れ」と呟く。
地蔵岳(1,464m)から滝川ノ辻、乾光門に至るなだらかな稜線通しの道は、ブナと桜、アケボノツツジやミツバツツジの群落が続き開放的な草原帯の快適ロードで、快晴もあって気分よく飛ばす。(後日譚だが、ここでセーブすべきだった。反省!)
12時半に涅槃岳(1,375.9m)の下りで一服。途中から気が付いたけれど、南奥駈に入ってからピークを巻く道が全くと言ってよい程ない。ほぼピークを踏んでいて、アップダウン、それも小さなそれに徐々に体力を削られてゆく。標高が少しずつ下がってきて、気持ち、暑苦しくなってきた点もあるかもしれない。
阿須加利岳を過ぎて樹林帯の中の持経の宿に13時半前に着く。狭いけれど小ぎれいな宿だ。これまでかなり脚に来るアップダウンで消耗したうえに、水がペットボトルの底にしかなくなり、やむをえず、水汲みに空荷で林道を5分ほど下る。沢の水量は豊富で顔や首周りを洗って少しさっぱりし、ハンカチも干して10分余分に休憩。暑いくらいの陽ざしで爽快、アルプスみたいにここでお昼寝できれば最高やなと思う。
下北山村 上池原に抜けるR425の峠(標高1,081m)を越え、少し登って14時半、平治の宿着。持経に比べると質素なつくりでトイレも離れた別棟。天場は整地されて広く、こりゃ泊まれば快適やと思ったけれど誰もいない。時間的に早く、疲労しつつもまだ余裕もあったので、予定通り行仙宿を目指すことにする。
しかし、である。転法輪岳(1,281.2m)への緩い登りで意外にへばり、倶利迦羅岳(1,252m)までの間も道が悪く、小ピークを一つずつ地道に攻略してゆく。この時間帯での消耗戦はさすがにきつく、ピッチもガクンと落ちた。
怒田の宿址と地形図にある場所はよく判らず通過。16時半、アンテナのあるという行仙岳(1,226.9m)への登りになる。今日最後の120mだ。ここまで来れば、お宿はもうすぐなので無理してピッチを上げることもなく、ピンクのアケボノツツジもあと少しだよといってるようだ。
17:20、行仙岳から約120m下った、植林帯の中の行仙宿山小屋(標高約1,100m)に着く。ここは管理人が常駐らしく、見覚えのある先着の人々が荷をほどいていた。小屋泊(素泊2,000円)を辞退し、教えてもらった苔のクッション付きの天場に今日もツェルトを張る。平治の宿で一緒に休憩した若いぼんが、張ってるところに追っかけて来て、あれこれツェルトの話をする。静謐な一人の時間をゆったり味わえることが相当羨ましかったようだ。
小屋では水を分けてもらえないので、往復30分の水汲み。下り道は結構急でも、空荷だと元気になるのはどうなのよと思う。水場は沢筋の大きな岩の間の薄暗い場所。清澄な水で量も多く、その冷たさと美味しさに一日の疲れともどもかなり癒された。
縦走3日目はこれまでの最長、行動時間12時間、休憩を除く実質行動時間は10時間で、さすがに脚に来た。軽量化でやや貧素な夕食をとって、早々にシュラフに潜り込む。夜半、かなり吹き上げて目が覚めたけれど、林間もあってよく眠れた。
5/2(月)・入山4日目(行仙宿→笠捨山→花折塚→玉置神社→ビバーク地点(五大尊岳手前コル))
晴れてはいても、やや湿っぽい朝で、5:30出発。今日は途中によい場所があればそこでビバークするつもりで、当面の目的地を大森山(1,078m)に設定する。笠捨山(仙ヶ岳/1,352.3m)へは小屋から約200mの登りで、前衛のP1~P4の四つの小ピークも越えないといけない。途中、葛川辻に至る巻道に出くわし、少し迷ったけれど、きちんとピークを踏むことにする。
ブナや杉の大木の並ぶ疎林の道をじわじわ高度を上げながら進み、P3とP4のコルで今日の1本目(₌休憩)。
さすがに標高1,200mくらいまで下ると気温も上がって暑く、ブナはもう新緑を展葉し、根元には芽吹いたばかりの実生株も。しっかり生きている森の中を山頂まで一気に120m、ジグザグに道を切り、朝一番の調子の出ない時間帯の急登に耐える。
7:05白地の道標だけの地味な笠捨山を通過するが、初めての者には道がわかりにくく、茶臼山への道の方が素直な進路に見えてしまう。少し進むと反射板鉄塔に出、その先の樹林帯手前で「この先難路」の小さなプレートが目に入り、「ん、難路? おかしい。」と気づく。地図を読むと90度西の方向に曲がるのに東に来ていた。危ない、危ない。ポイントでしっかり確認しないと。反省しつつ、ゆっくり引き返す。
山頂から下って、葛川辻で巻道と合流。巻道の方が立派な道で、どうやら巻くのが本筋だったみたいだ。南奥駈で初めてといってよいくらいの巻道のうえに、かなり大胆に巻いているよう。笠捨山以後、御影石の立派な道標も現れ、設置の苦労がしのばれる。ただ、縦走している身には行先より距離や時間の方が大事で、併せて記載して頂くと有難い。
さて、この先から地蔵岳(1,250m)、香精山(1,121.5m)の間が最後の修験道らしい道だった。これまで歩いた道と同じく、樹間や木の根をぬい、鎖交じりの岩場の登り降りの連続と、やはり悪い。三点確保の基本に忠実に乗り越えてゆく。膝がそろそろ限界ですよといってくるのをなだめすかして、8時に、らしからぬ地蔵岳ピーク。灌木の中に鎮座するお地蔵さんも、プラ製ではちょっとありがたみが…。
小ピークを二つこぎ、9:15香精山。やっと修験の道を突破した。送電線の下を通過して貝吹金剛を目指すも、標高は里山クラスに近く、さすがに汗が吹き出る。
この先、蜘蛛の口まで杉・桧メインの標高差約400mの長い下りに入る。香精山直下は植林帯の急降下道で、この縦走で初めてダブルストックを使う。かなり膝が楽になって、ピッチも少しアップ。貝吹金剛手前のコルでやや早めの昼食を取って、少し脚を休ませる。
貝吹金剛から先は杉林のほぼ一直線の下り。先々まで歩く先が見えるというのは修験の道ならでは。登山道ではないなぁと思いつつ、回転よくストックを回す。緩い傾斜は膝には有難く、ピッチも上がって11時半には蜘蛛の口に着いた。標高も700m程、もう汗だくに近い。ここから横峰金剛への登りになり、周辺は縁起木ユズリハのほぼ純林、これほど多い森もめずらしい。
12:10標高952mの花折塚にでて、しばらくちょっぴり登り気味の玉置神社に到る車道歩き。日差しが強く、蒸し暑いGWらしい陽気だ。小1時間ほどで「世界遺産」の記念碑に出て、少し涼む。
碑は、風通しと展望がよいだけで早々に神社への山道(餓(カツエ)坂というらしい。)へ入る。平坦な玉置山(1,076m)のピークを踏んで社務所へは13:40到着。ポンプアップらしい水場はすごい水量で、人工池?に落ち錦鯉まで泳いでいてちょっとビックリ。神社に泊る登山者も多かったけれど、水を多めに4㍑補給し、目標の大森山を目指す。あと5km弱だ。
杉の大木で鬱蒼としたご神域を抜け、小ピークの連続した登り降りを経て、大森山、大水ノ森に至る稜線の端っこ、旧篠尾辻へは急登。樹林帯で日差しが遮られて涼しいものの、へばる。水の重量増も効いてるが、膝に負担がかかっても、水はないより多めの方がよいに決まってる。16時前大森山。展望のない、だだっ広いだけのピークで標識がないと通過してしまいそう。
4日目で疲労が蓄積し、ピッチもコースタイムを追うのがやっとに落ちてしまった。山頂直下でザックを放り出して昼寝の若い男性がいて不思議に思ったけれど、後でその理由が解った。目標を越え、ここからはビバーク適地を探しながら進む。篠尾峠への下りはシャクナゲが満開だった。
道は、ジグザグの急降下で膝が限界に達する、ひどい傾斜だった。途中、よれよれで登ってくる、うら若い単独行(幕営装備)の女性に大森山への時間を聞かれ、「あと標高差200m、道はきついよ。」と答える。勇気づけられた様子でとたんに元気になり、じじいにも、ははぁ昼寝の男性と山頂で待合せかなと判る。う~、その時代がうらやましい。
篠尾峠は、峠といっても平地はなく通過。853mピークに五大尊岳の標識があり、おかしいなと思いながら下った先の小さなコルに好適地を発見。17時半、なるべく平らな、落葉でふかふかの場所に早速、ツェルトを張る。行仙宿で話した若いぼんが追い付いてきて、暫く話す。彼は「もう少し先まで行く。」とのこと。
今日も実質行動時間は10時間だったけれど、通常、ビバークの泣き所になる水はたっぷりあるので、泊最終日の夕食は予備食込みのご褒美メニュー。食後、ゆったりドリップコーヒーをたてる。樹間に差し込む夕陽がとても綺麗だった。
5/3(火)・最終日(ビバーク地→五大尊岳→絶景ポイント→吹越峠→大斎原(おおゆのはら)→熊野本宮大社)
最終日、少しゆっくりして6:20撤収、出発。昨日同様、湿気は高いが降ることはないだろう。すぐ五大尊岳(825m)、次いで同南峰を通過。蟻の戸渡りから金剛多和までの下りはきつい傾斜で膝にくる。もう、お昼には大斎原に余裕で着ける距離なので、無理をせずペースを落とす。 7時半に着いた金剛多和は、凹地で卒塔婆のある広場。テント2、3張は張れそうだ。
大黒天神岳(573.6m)を越えて小1時間で展望スポットに出る。大きく蛇行する熊野川の雄大な流れが一望でき、よくぞこの景観、絶景とは言い得て妙だ。日本離れしたスケールの大きい素晴らしい眺めに、しばし見惚れる。旅の最後にとっておきの景観に出会え、ルートを歩いてきたであろう、幾多の古の修験者の方々の深謀遠慮に感嘆する。
宝篋印塔のある山在峠(265m)まで降りてきて、一本入れる。暑くて、風で汗が引くまで休憩。
吹越山(325m)まで展望のない、緩い登りを上がり、9:45吹越峠着。道は若い杉林の一本道で風通しがよくて快適だが、膝はさすがにアウト、でもこの傾斜なら大丈夫だ。
七越峰(262m)への道すがら、マムシさんに面会(お会いしたくはないけど…。)。向こうも困ったのだろう、ちゃんとサインを送って来てくれて、5分程待って丁重にご移動願った。
峠から20分程で再び切り開きに出る。今度は、大斎原がくっきりと浮かび上がる絶好の展望台だった。またまた休憩。この際と、熊野川の渡渉ポイントの凡その見当もつけておく。
少し先が七越峰園地という家族連れが車で来る公園になっていて、すこぶる快適。ついに大休止してしまう。怠けるなと活を入れながら、尾根をぐるりと右旋回しつつ下ると、もう河原が樹間から垣間見えて、すぐ世界遺産の備崎経塚群の史跡に出た。あと少しだ。
11:20道から堤防階段に移り、河床に降り立つ。いよいよ奥駈道最後のハイライト、熊野川渡渉だ。流れの緩いところを探しながら100m程上流へ向かい、見当をつけていた大斎原を真横に見る位置で、ビーチサンダルに履き替えて渡る。深さは膝くらいまでで大したことはないが、流れは存外強く、ストックでバランスを取りながら慎重に渡り終えた。水の冷たさが心地よく、ふくらはぎに当たる水の流れも気持ちのよい渡渉だった。ああ、奥駈道もこれで歩き終えたなぁと、ふっと思う。達成感よりも安堵感の方が気持ち上回った、5日間の行程だった。
予定どおり12時丁度に大斎原に着く。鳥居の巨大さは尋常なレベルをはるかに超え、参道は歴史を感じさせる杉の大木が立ち並んで、鬱蒼とした森そのもの。
明治の大水害がなければ、今もここが大社だったのだろう。行きついた大社旧社地は流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠があるのみで、ぽっかりと空が明るく、どこか空虚で所在なげだった。
現在の熊野本宮大社へは、ここから500m程移動しないといけない。途中、昨日から剥がれかけていた、トレランシューズの左足裏をDIY店で応急修理し、幟と杉木立の約160段の石段を歩んで、13時に参拝を無事、終えた。
(あとがき)
2016年までの県外行は、南ア核心部、北ア槍平~大キレット・岳沢、奥穂~西穂などアルプス中心で、休暇の都合や台風等でいずれも2泊3日だった。大峯奥駈道は久々の4泊5日。トレ不足に加齢もあって脚が持つか、やや不安だったものの、なんとか歩き通すことができた。この経験は2019年に歩いた、北ア黒部源流行4泊5日で大いに役に立った。
大峯奥駈道は、寺院と神社の違いはあるものの、スタートとゴールはともに歴史ある荘厳な建物という点がいかにも歴史街道に相応しく、順峯、逆峯や日数の違いはあっても、旅の終止符を打つには、どちらも素晴らしいシテュエーションだ。道自体も、アルプスと違って必ずピークを踏む、巻道のほとんどない(特に南奥駈は。)ルートはなかなか経験できない貴重なものだ。主に広葉樹林帯を歩く長大さの中に、えもいわれぬ趣があって、終わってみると楽しい思い出しかなく、おざなりでも、素晴らしいコースの一言に尽きると思う。
また、通常、GWに5日連続で晴天が続くことは稀で、その点でも恵まれていたと、御配慮頂いた熊野の神様や古の修験者の方々に感謝したい。ツェルト4連泊という初物の実績、アケボノツツジを始めとするお花類、ブナの実生株や女性修験者との邂逅など、色々な発見や経験もさせて頂いた。大峯奥駈道の懐の深さに、ただただ頭が下がる思いである。